2009年11月3日火曜日

映画「沈まぬ太陽」当たり前のことの大切さ

映画『沈まぬ太陽』公式サイト

映画の日に映画「沈まぬ太陽」を観にいった。日曜日で映画の日ということもあってか、客席は満員。同様にマイケルの「THIS IS IT」や「カイジ」なども満員だった。久々にごった返しの映画館を体験したが、大勢で見る映画は、なんとなく嬉しい。

インターミッションがある映画は初めてだったが、3時間22分という時間を長いと感じることはなかった。3時間22分を見せきるだけの迫力や意思を持った映画だった。

しかし、「沈まぬ太陽」は体力気力充実している時に見ることをお勧めします(^^;)。映画と向き合わざるをえないようなプレッシャーを持っているので、見終わるとちょっと疲れますよ。


考えさえられたのは「会社で働く」ことに対する価値観の違い。私だったら左遷やいじめにあってまでも会社に残り続けるという選択肢はとらないだろうな。勿論、詫び状なんか書かないが、会社にも残り続けない。

主人公の恩地元が会社を辞めない理由は、映画では「俺の矜持が許さないんだ」という台詞で表現されていた。パキスタンやイランやケニアへの移動を命ぜられ、望むような仕事ができなくても会社に残り続ける、つまり「逃げない」ということが彼のプライドであり、矜持だと。しかしだったらそれは何のための矜持なのか。

私だったら、会社を辞め、空の安全や社員の待遇向上を外の世界から指摘するジャーナリスト的な仕事をやろうとするかな。10年不遇の時代をすごすなら、食べることには事欠くかもしれないが、会社を変えられ、会社のためになる可能性のある仕事をしたいと思う。

そこで思ったのが、この時代、会社を辞めるということはよほどのことだったのかもしれないということ。映画の最後の方で恩地の長男、克己の台詞で「親父とお袋の生きてきた時代は俺らとは違うんだから。でも、親父とお袋は逃げなかった。」というものがあった。

この作品は、時代を超えても普遍的なものと、その時代を経験したものにしか理解できないものが混在している感じがした。


時代を超えても普遍的だと思ったのが、航空機事故で亡くなった多くの方々のご遺族の悲しみだ。さっきまで笑顔で手を振っていたわが子、電話で話していた夫が、突如として事故で亡くなってしまう。その悲しみは本当に深く、つらく、映画を見ていても涙が止まらなかった。

航空機事故だけでなく電車でもJR福知山線の脱線事故のように、多くの方が亡くなられる事故がある。事故は、突然いとしいものを奪う。その絶望は途方もないのだと感じた。

いとしいものに囲まれてすごしていることはどれほど幸せなことか。主人、両親、友人、多くのいとしいもの達に感謝した。そして彼らと共に過ごせていることが決して当たり前ではなく、どれほど恵まれていることなのか感じる感性を失ってはいけないと思った。