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2010年1月29日金曜日

「AVATAR」見るべし

久しぶり、いや、初めてかもしれない。
もう一度、映画館に来て同じ映画を見たいと思ったのは。

「AVATAR」


ジェームズ・キャメロンのイメージをできるだけ忠実に見てみたいと思って、川崎のIMAXデジタルシアターまで行ってみた。

噂に違わず、素晴らしかった。

IMAXで映像を見たのは何年ぶりだろう。
今はもう閉館されてしまったが、新宿の高島屋にIMAXデジタルシアターができた時、IMAXの映像はどんなものか見てみよう!と出かけて行った以来。でも何を見たのかさえ覚えてないほど印象に残っていない。深海ものだったかな?

つまり、その時に見たのは「映画」ではなく、「映像」だった。
3Dのデジタル映像というギミックにとらわれた部分が多くて、「飛び出すように感じる~」「近づいてきたように感じる~」で終始し、エンターテイメントとしてはまだ力不足な印象だった。


しかし、今回見に行ったAVATARは、まさに「映画」だった。
最初から最後まで、ジェームズ・キャメロンの脳内イメージに没頭することができた。
彼の、監督としての、物凄い力技を感じた。

エンドロールには膨大な人名が流れていたが、それだけの人数が関わり、長い製作期間・構想期間の間もモチベーションを維持し、映画館で映画として見られるまで作りきったパワーはハンパない。ものすごい人である。


そういえば数年前、どこか移動中にたまたま車内で流していたラジオで、
「映画館に人を呼ぶには3Dだ、といってジェームズ・キャメロンが何か3Dの映画を撮る気でいるらしい」
「へぇ~」
と、多少冷笑まじりに言われていたのを覚えている。

観客動員数の記録を持つ 「タイタニック」、そして「ターミネーター」「アビス」「エイリアン2」なども撮った大御所。その彼が「あの」3Dで映画?お金もかかるだろうに大丈夫なのかな?と率直に感じ、印象に残っていたのかもしれない。しばらくたってもキャメロンが3Dの映画を作ったと聞かなかったので、結局頓挫してしまったのかと思っていた。

でも、彼は諦めていなかったんだ。その執念に脱帽だ。
人間、50歳だろうが、60歳だろうが、夢をみることはできるし、夢を叶えることができると、彼自身の行動からメッセージをもらった感じがする。


映画の中で最も印象に残ったのは、「いとおしさ」。

ヒロインのキャラクターであるネイティリがいとおしい。
原住民ナヴィ達がいとおしい。
彼らが住むパンドラの星そのものがいとおしい。
それ程、キャラクター、動物、植物、全て活き活きと表現されていた。

特に、ナヴィの青いキャラクターデザインについては、見に行く前はカワイクないと思っていたが、いやいやどうして。フォルムが美しい。動き、表情がCGを感じさせず本当にそこに生きているようで、自然に愛情を抱いてしまう。

その活き活きとした動き。どのように実現したのかYouTubeに映像がアップされていた。


徹底的にモーションキャプチャーで撮りまくったらしい。実際の俳優さんたち、特にナヴィ達を演じた俳優さんたちは、自分たちの姿形は一切映画に出てこないが、全て、スタジオで演じていたのだ。お馬さんまで(^^;)。お疲れ様です。

この発想はアメリカ的かなと感じる。SIGGRAPHに何度か行ったが、モーションキャプチャーシステムについて、いつも多くの展示があった。そこには、新たなエンターテイメントの地平を技術のイノベーションで切り開く!みたいな、アメリカ的なフロンティアスピリットがあるように感じていた。


後半は涙が止まらなかったが、結構3Dメガネをしながら泣くって大変ですね(^^;)。

環境を破壊する人間。
その破壊を止めるためには気合や竹槍だけでなく、戦略や叡智を集めることが必要。
それができるのも人間。
でも人間は、人の力を超えた何かしらのパワーに自らが包まれていることにも気づかなくてはならない。
全ては繋がり、リンクし、命は永遠にパンドラの魂として生き続ける。

個人的には、そういったメッセージを感じました。


もう一回パンドラの世界にダイブしに行きたい~。

しかし、一緒に行った夫は3D酔したらしく、見終わった後に気持ちが悪いとグッタリしていました。 現実世界に戻したくないと思ったのかもしれませんが、3時間程の長い映画でしかも3Dなので、幕間を設けた方が良かったかもしれませんね。3Dメガネをつけたまま3時間座って見るというのは、人によってはシンドイかもしれません。

最後に、FlickrにあるAVATARのオフィシャルサイトをおススメ。
http://www.flickr.com/photos/officialavatarmovie

美しいナヴィ達やパンドラのシーンを高画質で見ることができます。
しばらくはこれで脳内トリップします(=^▽^=)

2009年11月3日火曜日

映画「沈まぬ太陽」当たり前のことの大切さ

映画『沈まぬ太陽』公式サイト

映画の日に映画「沈まぬ太陽」を観にいった。日曜日で映画の日ということもあってか、客席は満員。同様にマイケルの「THIS IS IT」や「カイジ」なども満員だった。久々にごった返しの映画館を体験したが、大勢で見る映画は、なんとなく嬉しい。

インターミッションがある映画は初めてだったが、3時間22分という時間を長いと感じることはなかった。3時間22分を見せきるだけの迫力や意思を持った映画だった。

しかし、「沈まぬ太陽」は体力気力充実している時に見ることをお勧めします(^^;)。映画と向き合わざるをえないようなプレッシャーを持っているので、見終わるとちょっと疲れますよ。


考えさえられたのは「会社で働く」ことに対する価値観の違い。私だったら左遷やいじめにあってまでも会社に残り続けるという選択肢はとらないだろうな。勿論、詫び状なんか書かないが、会社にも残り続けない。

主人公の恩地元が会社を辞めない理由は、映画では「俺の矜持が許さないんだ」という台詞で表現されていた。パキスタンやイランやケニアへの移動を命ぜられ、望むような仕事ができなくても会社に残り続ける、つまり「逃げない」ということが彼のプライドであり、矜持だと。しかしだったらそれは何のための矜持なのか。

私だったら、会社を辞め、空の安全や社員の待遇向上を外の世界から指摘するジャーナリスト的な仕事をやろうとするかな。10年不遇の時代をすごすなら、食べることには事欠くかもしれないが、会社を変えられ、会社のためになる可能性のある仕事をしたいと思う。

そこで思ったのが、この時代、会社を辞めるということはよほどのことだったのかもしれないということ。映画の最後の方で恩地の長男、克己の台詞で「親父とお袋の生きてきた時代は俺らとは違うんだから。でも、親父とお袋は逃げなかった。」というものがあった。

この作品は、時代を超えても普遍的なものと、その時代を経験したものにしか理解できないものが混在している感じがした。


時代を超えても普遍的だと思ったのが、航空機事故で亡くなった多くの方々のご遺族の悲しみだ。さっきまで笑顔で手を振っていたわが子、電話で話していた夫が、突如として事故で亡くなってしまう。その悲しみは本当に深く、つらく、映画を見ていても涙が止まらなかった。

航空機事故だけでなく電車でもJR福知山線の脱線事故のように、多くの方が亡くなられる事故がある。事故は、突然いとしいものを奪う。その絶望は途方もないのだと感じた。

いとしいものに囲まれてすごしていることはどれほど幸せなことか。主人、両親、友人、多くのいとしいもの達に感謝した。そして彼らと共に過ごせていることが決して当たり前ではなく、どれほど恵まれていることなのか感じる感性を失ってはいけないと思った。