2014年9月9日火曜日

昭和天皇が靖国神社へのご親拝をおやめになったのはなぜか、調べて考えた

昭和天皇の靖国神社へのご親拝は過去8回あった(1945年・1952年・1954年・1957年・1959年・1965年・1969年・1975年)。

しかし、1975年(昭和50年)11月21日を最後に、一度もご親拝はなされていない。今上陛下も天皇陛下になられてからのご親拝はない。皇太子殿下も皇太子殿下になられてからは行かれていない。

その代わり、昭和天皇、今上陛下は、ご親拝の代わりに皇室の勅使を春と秋の例大祭に差し遣われている。また、奉幣=皇室の幣帛(へいはく=神に供える物)を、伊勢神宮と靖国神社に奉(たてまつ)る伝統は、変わらず行われている。

でも、ご親拝は途絶えている。なぜ、1975年で昭和天皇のご親拝が止まっているのか、最大の原因は当時の三木首相の「私的参拝」発言の影響だと考えられる。


天皇陛下が御親拝を中止された本当の理由 から引用
1975年(昭和50年)、当時の首相三木武夫は8月15日に靖国神社に参拝したが公用車を使わず、肩書きを記帳せず、玉串料を公費から支払わず、閣僚を同行しないことの4条件を以て、「私的参拝」だと述べた。

このことが国会でも取り上げられ政治問題化した。

そして、昭和天皇の最後の靖国神社御親拝となった1975年11月21日の前日にも、国会でこの問題が大きく取り上げられている。

11月21日、天皇皇后両陛下は靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者記念墓苑にご親拝されたが、前日の11月20日の参議院内閣委員会で日本社会党の野田哲、秦豊、矢田部理の3議員が質問に立って厳しく追及した。

政府委員として答弁した富田朝彦・宮内庁次長(当時)が、天皇陛下の靖国神社御親拝は「私的行為」であると説明したところ、社会党議員からは、公的行為だとか私的行為だとかいった区別はできないのではないか、明日の天皇陛下の御親拝は、「(当時国会で議論されていた)天皇陛下や内閣総理大臣らの靖国神社「公式参拝」に道を開くものであって、「表敬法案」の先取りであり、【憲法20条】に違反する疑いがある、更に「あなた方によれば、私的行為の名のもとに天皇が靖国神社に参拝されるということは、どんな答弁、どんな強弁に接しようともわれわれは断じて認めるわけにはいかない」などといった厳しい批判が加えられている。

追求を受けた吉国一郎内閣法制局長官は遂に、天皇の参拝は、「憲法第20条第3項の重大な問題になるという考え方である」と答えてしまった。


先帝陛下であられる昭和天皇も今上陛下も、どのような設立経緯や内容であったとしても、日本の民主主義の根幹を成す憲法を順守する遵法の精神を強く持っておられる。

憲法上、重大な問題になると言われれば、行動をお控えになるだろう。三木発言、それにまつわる国会質問、内閣法制局長官の答弁、これらの影響はとてつもなく大きい。


以下、ポイントになる点について、事実と、自分の考えをまとめてみた。


A級戦犯合祀されたのはいつ?

1978年(昭和53年)10月17日に「昭和殉難者」(国家の犠牲者)として靖国神社に合祀された。その事実が、1979年(昭和54年)4月19日朝日新聞によって報道され国民の広く知るところとなった。



合祀とご親拝取りやめの関連は?

昭和天皇がご親拝をなさらなくなったのは、1978年(昭和53年)にA級戦犯が合祀されたからではない。ご親拝はその前に、1975年を最後に、途絶えていた。直接の原因となったのは、国会での政教分離に関わるという批判だったと思われる。

「木戸幸一日記」や「昭和天皇独白録」などから察すると、昭和天皇ご自身は「戦犯」という言葉に否定的だったご様子。その上で更に、A級やC級(ちなみにA級〜C級は罪の種類の違いであって重みの違いではない。Aクラス、Bクラスのようなもの)の違いで対応を変えるようなお考えはお持ちでなかったのではないか。つまり、B・C級戦犯が合祀されている間はご親拝されて、A級だったらご親拝されないという対応は、なされないのではないか。

戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて退位でもして納める訳には行かないだろうか
昭和20年8月29日「木戸幸一日記」

首相宮御参内、戦争犯罪人の処罰を我国に於て実行することを聯合国に申入る〃ことに閣議に於て決定したる由にて、其旨奏上せられたるに、御上は敵側の所謂責任者は何れも嘗ては只管忠誠を尽したる人々なるに、之を天皇の名に於て処断するは不忍ところなる故、再考の余地はなきやとの御尋ねあり
昭和20年9月12日「木戸幸一日記」

「元来東条と云ふ人物は、話せばよく判る、それが圧制家の様に評判が立つたのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持が下に伝らなかつたことゝ又憲兵を余りに使ひ過ぎた。
「昭和天皇独白録」

「東条は民論を重んずべきことを屡々口にせり。しかるに迫水のような考えがありとすると、その原因は、東条が余り各省大臣を兼任して、自分の意思通り事が運び兼ね、軍務局や憲兵が、東条に名において勝手なことをしたのではないか。東条はそんな人間とは思わぬ。彼ほど朕の意見を直ちに実行に移したものはない」
「側近日誌」木下道雄



合祀時に各国の反応は?

1978年(昭和53年)のA級戦犯合祀時点での諸外国からの抗議は皆無だった。

1979年に合祀されていたことが報道された後も、鈴木善幸氏が首相在任中も含め8月15日等計8回参拝しているが、抗議は受けていない。

しかし、1985年(昭和60年)に中曽根康弘氏が首相として公式参拝を表明し実施して以降、中国と韓国から抗議を受け始めた。

つまり、天皇陛下がご親拝なさらない原因に、A級戦犯合祀、そして各国の反応は関連していない。中国や韓国が反対を言い出したのは1985年になってから。ますます陛下がご親拝されにくい状況にはなっているが、とりやめの原因ではない。



どうしたら天皇陛下にご親拝頂けるようになるか

直接の原因となった、陛下が靖国神社へご親拝なさることが政教分離に抵触するのか、という問題を解決しなければいけない。

まずは、天皇陛下が祭祀王であることを日本国民がしっかりと認識する必要がある。現在、天皇陛下の宮中祭祀のお務めは公務ではなく、私的なものとされている。よって、マスコミも報道しない。この根本がおかしい。

天皇陛下は神道の長、常に日本国民の安寧を祈って祭祀を行われていることを知るべき。そして、日本のために命を落とした様々な方が祀られている靖国神社へ参拝されることは当然のことだという認識を持つべき。その考えを持った総理大臣が、まずは必要。

そして、陛下がそのように神社へご親拝されることは政教分離には全く抵触しないことを、国民、政治家、共に認識すべき。政教分離とは、特定の宗教を政治が贔屓しないという平等性であって、全く無関係にするというものではない。政教分離のアメリカだって聖書の上に手をおいて大統領は宣誓する。

天皇陛下が祭祀王であること、ご親拝は政教分離に抵触しないこと、これらを国民が認識し、国外へも積極的に伝えていく努力が必要。


そうして初めて、靖国神社への陛下のご親拝は可能になると思う。